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【記事公開!】山梨デザインカンファレンス in 富士吉田 ②
2026年01月29日
続いてのパネルディスカッションPART1のテーマは「テキスタイルデザインと建築」。建築家で多摩美術大学学長の内藤廣氏、テキスタイルデザイナーの須藤玲子氏、A-POC ABLE ISSEY MIYAKEのデザイナー宮前義之氏、そしてファシリテーターは山梨県デザインディレクターの林千晶が務め、前半とは違う角度からデザインの幅広い可能性と展開について議論が広がりました。登壇者による対話をダイジェストで振り返ります。
【登壇者】
内藤 廣 氏 建築家
(多摩美術大学 学長/東京大学 名誉教授)
須藤 玲子 氏 テキスタイルデザイナー
(東京造形大学 名誉教授/株式会社布 代表)
宮前 義之 氏 デザイナー
(A-POC ABLE ISSEY MIYAKE)
林 千晶 山梨県デザインディレクター
【パネルディスカッションPART1】
「テキスタイルデザインと建築」
過剰な資本主義がもたらす問題
林千晶 最初のディスカッションでは、富士吉田のテキスタイル産業について、つくり手とデザイナーの距離が近い文化や未来の可能性がある、といったお話もありました。その一方で、オーバーツーリズムになりそうなほど観光客が訪れているのはテキスタイルウィークに来ているのか、あるいは他に何を見てもらえばいいのか。自治体にとっては、お金を“落として”もらわないといけないとよく言われますが、じゃあ何にお金を落としてもらいたいのか……。そもそもテキスタイルウィークをどう思っているのか……。ここからは、そんなリアルな話をお聞きしたいと思いますが、まずは自己紹介からお願いします

宮前義之氏 現在、三宅一生が設立した会社『三宅デザイン事務所』でA-POC ABLE ISSEY MIYAKEのデザイナーとして服づくりをしています。もともとはイッセイミヤケでパリコレの仕事を、2011年から2019年までやらせていただき、その後、現在の部署で素材づくりと出会いました。イッセイミヤケは、三宅一生のコンセプトである「一枚の布」から始まっていまして、1970年代くらいからずっと日本の繊維産業とともに、さまざまな発想を取り入れてきましたし、現在も僕を含めたチームと一緒にその考え方をさらに発展させていきたいと考えています。いまイッセイミヤケには10のブランドがあり、A-POCが「A PIECE OF CLOTHES」という言葉に由来している通り、一枚の布の素材には無限の可能性があると信じています。テキスタイルは、人類と同じくらい歴史があるにも関わらず、縦糸と横糸があるという基本的な構造は変わっていないけれど、時代ごとにさまざまなものが生まれています。世の中と一緒に変化していくといった意味で、僕もいま改めて素材づくりが面白いと感じているところです。A-POC ABLE ISSEY MIYAKEでは、自分たちだけでやるのではなく、異分野、異業種の方たちと積極的に交流しながら、イノベーションを生み出したいと思っています。織機をはじめ、従来の道具や素材の使い方なども、美術家や研究者らと交流しながら、発想を取り入れています
林 テキスタイルウィークで発表しているA-POC ABLE ISSEY MIYAKEの作品についても、コンセプトから教えてください

宮前氏 今回展示している作品は、現代美術家の横尾忠則さんと一緒に取り組んだものです。テキスタイルにひそむ見えない価値を擁護したいということと、アートが美術館に飾られるだけじゃなくて、身体に寄り添うテキスタイルになっていることで、意識が変わるような存在になるものを考えてきました。そういったことを産地の皆さんと一緒につくり上げるところが、個人的にはテキスタイルの仕事でいちばん面白いところですね。イッセイミヤケの活動はファッション業界にあり、皆さんご存知のようにファッションが安く大量に流通する社会で新しい解釈をし続けることが大切なのですが、業界は分業化が当たり前で、細かなプロセスを経なければ完成しない一方、素材を理解していなかったりするデザイナーも多くいます。すると、繊維商社やコンバーターが間に入って、電話一本で生地を全部集めてきてくれるんですよね。だから時間が無くても、ある種のセンスがあれば服ができてしまう。その問題意識から生まれたのが、A-POCでした。一枚の生地の中に、あらかじめ服のパターンや縫い代が設計されているA-POCの生地は、今日も会場へ来てくださっている、⻄桂町の槙田商店さんと 10 年以上かけて一緒に開発してきた技術によるものです。槙田さんは先染めのジャガードを常に最先端にアップデートして、この 20 年間のコンピューターデータのアップデータと共に複雑なことができるようになっていまして、今回の作品のように、横尾忠則さんの絵画を最小限の糸と組成と、緻密な設計の中で成立させています。20 年前はまったく想像できなかったことがいま実現でき、世界でも非常に高い評価をいただきました。実際につくった地域でこうしてお披露目できることに、深いご縁を感じています
林 宮前さんは 20 年以上、富士吉田の産地と付き合い、応援してきている。そして須藤玲子さんも同じく、世界的に数少ないテキスタイルデザイナーとして活躍なさっていて、富士吉田にも長らく関わっていらっしゃいます
須藤玲子氏 『布』という小さな会社を運営しています。私が最初に富士吉田へ来たのは 1983 年、会社を始める前ですが、実はカネボウのデザイナーをしておりました。カネボウシルクの機屋さんが富士吉田にたくさんあり、初めて見ていちばん驚いたのは、シルクの機張り(はたばり)の工房には塵ひとつないことです。それまで見てきた短繊維のウールや綿、麻の産地では必ず綿埃があるのに、長繊維のシルクを扱う富士吉田の機場は本当に綺麗なんです。その時、とても綺麗なシルクウェーブを見て思い浮かんだのが、布の中に何かが浮遊しているようなテキスタイルでした。その後、シルクの生糸で羽根を織り上げて、飛んでしまいそうに軽やかに浮く布が出来上がったのは、この時に富士吉田で出会った技術があったからなんです。最初にその布を提案するため、私が手で織った試作を持って行って『こういうのがつくりたいんです』と言ったら、ひとりの職人さんが『僕やります』って。私が描いた設計図を完璧に覚えて、機械の横で確認しながら羽根を手作業で織り機の歯に入れて、スイッチを操作して……。そういう労力を惜しみなく発揮してくれる産地が富士吉田なんですね。ここでしかできない布が、いまでは世界にある30以上もの美術館にコレクションとして収蔵されるようになりました。多くの人が真似できないかと試みたようですが、いまだに誰もできていないんです

林 誰も真似できない織りを、最初からできないと断ってしまわないのは、効率だけを考えていないから。例えば、1 時間に織れる⻑さが短くなったり、手を使うとなると人件費がかかったりすると、結果として相対的に布が高価になってしまうから効率が悪くなると考えて、断るのだと思います。でも、数字じゃなくて、技術的にできるかどうか追求する熱心さが、富士吉田にはあるってことなのでしょうね。内藤廣さんにもお聞きしたいと思います。労力とコストの関係では、洋服だと単価につながりますが、建物になるとまた違うスケールでのコストに影響する。その世界で生きる建築家として、どう向き合ってきたのかっていう部分にも触れながら、自己紹介していただけたら嬉しいです
内藤廣氏 建築家が本業で、副業で多摩美術大学の学⻑をやっています。今日みなさんにお話することは 2 つくらいかなと思っています。まずは先ほど、職人技の話がありましたけれど、建築も同じです。非常に手に近い職みたいなところを、少なくとも戦後 50 年くらい、この国は大切にして来なかった。だからこそ、さきほど須藤さんが話したような方が残っているということは、非常に貴重なことだと思いました。建築ではいますでに、左官職人や腕のいい大⼯、建築に必要な職人はさまざまありますが、どんどん少なくなってしまって、もう手遅れに近いですね。その背景には、やはり資本主義的な圧力があると思います。つまり、例えば大⼯さんが柱を建てたら、実際にはもうそれ以上やらなくてもいいんだけど、大⼯さんの気持ちとしてはもう 1 回カンナを掛けた方が仕上がりが良くなるから、手をかけるとします。でもその労力が金銭に変わる訳でもないんですよね。そういったことが 10 回も 100 回も積み重なれば、それだけ効率が悪くなってしまう。でもやっぱり『親父の代から伝えられてきたのはこういう仕事だよな』、『ここまでやらないと自分の気持ちが悪い』と感じてしまう。それは、ひとつの文化なんですよ。ただ文化ってやつは資本主義ではカウントされません。建築では、そういう“職人の意地”のような文化に甘えてきたわけですよね。それで、いまではもう腕の良い職人が居なくなりつつある状況です。たまに居るとしたら文化財みたいな格好になってしまって、生産の仕組みとは切り離された“文化財”という形になっている。我々が少しでも良いものをつくろうという気持ちは、もっと大切にしてもらいたいし、やっぱり、労力を惜しまない人が暮らしていけるような話をしていきたいものですね。ものすごい大きな資本主義圧力が日本全体にかかっていて、その中でのマネーゲームになってしまっている側面が強いわけです


林 内藤さんのご指摘に対して、敢えて反論してみたいです。確かに政策としては、世界各国の景気が良くなりGDP も上がる中で、日本としても遅れちゃダメだ、頑張って追いつけ、追い越せというために効率を上げろと言われてきました。だけどいま、『それだけで良かったんだっけ?』と立ち止まるタイミングではあって、これまでの資本主義だけではないはずだと考える若い建築家も増えて、実際に山梨でもすごく良い建物を手がける若い世代の建築家たちが新しい方向へ動いています。とはいえ、その志を喚起するために内藤さんが警笛を鳴らしたくなる気持ちはすごくよく分かります
内藤氏 いやもちろん、部分的に頑張っている人たちはいますから、みんなで応援しないといけない。そして応援するだけじゃなく、失業しないようにちゃんと仕事持ってこないと。文化に対するリスペクトをもって、この若手はこの地域で育てようとみんなで支えるような土壌は、かつての日本にはありました。建築はお金かかりますからね。でもいまは、本当の意味での職人技を受け継いでいる人たちが高齢化し、その人たちが辞めたらもう生産できなくなるだろうといった話が本当にたくさんあります。『とらや』の赤坂店を建築した時にお願いした左官職人も、それが最後ってことでした。10 年後には絶対できない職人技が日本にはたくさんあって、どう考えるかなんだよね。やっぱり次の若い世代に、これまでと同じ形ではないかもしれないけど、もっと元気にやってもらえるためには、みんなで応援したり励ましたり仕事与えたりする社会にならないと、多分うまくいかないと思います。もうひとつ、美術大学の学長としての視点からお話すると、まず美術大学にはいくつものテリトリーがあります。油絵、日本画、彫刻、版画、工芸、デザイン、それからテキスタイル。そのなかでどちらかと言うと、テキスタイルにはアンビバレンスなところがありますね。つまり、テキスタイルからファッションへいく、だけどもう片方では建築素材になっている。この場合は織物と呼びます。要するに、精細な技巧を扱う技術的に際立つ側面と、限りなく版画やファインアートに近づくアーティスティックな側面がある。そういったアンビバレンスなものを両方もっているところが、テキスタイルの難しいところでもあり、面白いところでもあります
須藤氏 まさにその通りです。テキスタイルでホテルの内装に関わった時に、シーツ以外はすべて日本国内で製作したのですが、残念ながら建築家は設計段階で、例えば石材、ガラス、木材などについては明確に指定する一方で、テキスタイルについては指示してくれないんです。設計段階から私たちも同じように強い思いをもって加わっているし、テキスタイルにもさまざまな素材がありますし、ぜひ建築家と一緒に計画の段階から、まだ土地がまっさらな状態から『テキスタイルちょっと来てくれ』って呼んでいただきたいです

富士吉田にテキスタイルミュージアムを!
林 イッセイミヤケの例で宮前さんにお聞きしたいのですが、先ほど槙田商店と協業していることを話してくださいましたよね。だけど、服を売る時にどこで素材をつくっているか、情報として伝えないことがファッションでは多いと思っていたので、同じように秘密にしておきたいということはないのでしょうか?

宮前氏 秘密というよりも、ファッション業界の構造や、分業化されている現状は、イッセイミヤケでも同じです。他のメゾンと違うのは、イッセイミヤケの社内にテキスタイルの担当部門がしっかりあることでしょうか。専門的にテキスタイルを学んだ人材を採用しています。ただ、テキスタイルの中でも織りが得意、プリントが得意、ニットが好き、という場合も多く、服にはたくさんの素材を使うので複合的に全部できる人はなかなかいません。どうしてもかたよりがあるのは、イッセイミヤケに限らず、一般的に言えることではないでしょうか。必要なのはやっぱり、分業になっている専門性をブリッジできる人。そこが圧倒的に足りていないと思います。そこを商社に補ってもらっている構造です。我々もよく若いスタッフに注意するのですが、ものすごく膨大な業務に追われてしまって、結局、電話 1 本で商社のコンバーターになってくれる方にお願いすると、素材や情報をすぐ集めてきてくれることに慣れてしまって、トライアンドエラーで得られる経験が自分たちには蓄積されなくなってしまうと、やっぱりダメですね。そこをどんどん越境できる人がこれからは必要です。本人の好奇心や個人差にも左右されますが、本当は目の前にチャンスがいっぱいあると思うし、富士吉田もその場のひとつです。これだけ多くの機屋さんがあって、外から見るとどこが何を得意としているか分かりづらいですけれど、自分たちから積極的に入って行くべきです
林 商社が動いてくれることで、逆にファッションメーカーが弱体化し、最終的に潰れてしまうといった話も耳にしますが、そこまで単純ではないけれど、メーカーとしてどこまでこだわるのかという時に、内藤さんがおっしゃっていた資本主義との関係性も改めて問われる気がします。では、富士吉田の未来のことにも目を向けて、特に内藤さんには、テキスタイルミュージアムの可能性についても伺ってみたいです。宮前さんの話にあったように、商社に頼むとすぐに持ってきてくれるけれど、それを商社じゃなくて富士吉田の得意な部分をアピールできて、訪れる人にも専門的な知識に触れてもらえるようなテキスタイルミュージアムみたいなものを構想する意見も一部にはあるようです
内藤氏 今日の話を伺っていると、つくる人と使う人との間に何層もの層があってね、そこには商社もあれば、ファッション業界という大きな枠組みもあるでしょう。でも、使う人にとってはどうでもいいことだよね。だからその理解を促すような機会をつくる、それがテキスタイルミュージアムなのかわからないけれど、チャンスは増やした方がいいという感じがします。インターネット経由で簡単に情報が手に入るからこそ、布は触れてみないとわからない、バーチャルでは絶対にわからない世界がある。画像でも簡単に見られるし、知識もいくらでも得られるけど、自分の手で持ってみて『あ、そうか! つくっている人はこれにこだわっているのか!』と納得する経験につながる場は、あっても良いと思いますよ。島根県益田市で私が設計した島根県立石見美術館で開催されていた森英恵さんの大展覧会を拝見してよくわかったことからひとつお話すると、ファッションには、その時代が全部ひもづいている、ということです。当然、三宅一生さんの存在も同様だったわけですが、ファッションを見ていくとその時代が伝わってくるという物質に近い話と、もうひとつは、時間軸。つまり、テキスタイルの歴史にまでさかのぼるものまで両方の世界を、やっぱり子供たちには伝えておきたいですよね。次の世代にしっかりと伝える機会を増やせているのかどうか、ちゃんと考えないといけないことだと思います


須藤氏 森英恵先生の展覧会に関連しますが、富士吉田では1970年代終わりくらいのテキスタイルを随分つくっているんですよね。展覧会の担当学芸員が私のところへも取材に来ました。時代によって京都、桐生など違う産地もあり、テキスタイルは本当に時代によって違っています。1980年代は天然素材が多かったけれども、90年代になると、ポリエステル、ナイロン、ポリウレタンといったさまざまな機能をもつ糸が普及してきたものをミックスして使い、2000年代に入ってからは持続可能性が求められるようになって、オイル由来の繊維と天然繊維を混ぜてはいけない現実になっています。私たち布づくりにいる者としては、90年代にあんな大変なことをしてしまって、再生できず、ケミカルリサイクルもできず…… という状況からもう懺悔し続けて、いまに至るんです
林 ファッションは時代の最先端であり、テキスタイルは時代と共に繁栄するんですね
内藤氏 だから分かりやすい。テキスタイルとファッションからもういちど、日本の歴史を見ようとすると、誰もが実感できるテーマが全部そこに紐づくことになるでしょう
須藤氏 確かにそれは感じます。人の暮らしと社会の様相がピタっと合う形で、テキスタイルや衣服の変遷があると感じます。特に今回のテキスタイルウィークではすごく、実際の建物と呼応するように展示された布の作品が多いことも印象的でした。その中でも気づかされたのですが、多少の織り傷やムラがあってもOKなんじゃないかって。これからの時代は“経年劣化”じゃなくて“経年優化”。つまり経年することで磨かれる魅力が増すのかもしれません。布に表れた1 本の筋、1 本の織り傷も、人間の手によるものだからと受容できるような私たちになりたいですよね

内藤氏 昔ね、C・W・ニコルさんと対談した時にニコルさんが使った言葉は『パティーナ』でした。要するに『愛着』。使っていることによって愛着が生まれる、それがパティーナということです。それこそが大事だと二人で意見が一致したのですが、須藤さんの話は多分そういうことですね
林 これからは、パティーナに価値を見出せる世代が増えそうです。宮前さんにも、これからの世代やテキスタイルに携わる方々へのメッセージをお願いします

宮前氏 ファッションが時代の気分や感覚をすくいあげて、豊かさの証にもなるものである一方、ある意味で矛盾するかもしれませんが、イッセイミヤケのものづくりでは10年先を水面化で見据えて時間をかけていくことを忘れてはいけないと思っています。商社を否定するのではなくさまざまな方法がある中で、同じビジョンを共有するにはやっぱり直接会って話すことが大切だし、面白い。伝言ゲームのように人を介して伝えるのではなくて、ものづくりで本当に大事なのは、顔を合わせてやっていくっていうことだと思っています。富士吉田はファッション業界では繊維の街として有名ですが、初めてのものをつくろうとすると、どこの誰にお願いしていいか分からなくて、結局、商社に相談しないといけない状況もあるような気がします。そこがもうちょっとアクセスしやすいプラットフォームができるといいですよね。最初から美術館として大がかりな運営を目指すのが大変だとしたら街で空き店舗になっているスペースを活用して、さらに知識を深掘りしたければ⼯場を紹介して貰えるとか。そういう仕組みが地域にあれば、富士山を見たいから来る観光客にも産地の魅力が伝わるのではないか。富士吉田にはそのポテンシャルを感じています
林 私も同じような願いから、ファブカフェをつくったのだったと思い出しました。一部の“わかっている”人たちだけではなくて誰もが民主的につながることができる意味で、博物館のように触ってはいけない、静かにしてなくてはいけない、のではなくて、どちらかと言えば道の駅のテキスタイル版があっても良いかもしれません。コラボレーションの場所としても、またおもしろい流れが生まれるのではないかと思いました。
林 テキスタイルはアンビバレントだと内藤さんがおっしゃったように、今日ここでの会話は、マスに受け入れられる領域だけのことではなかったかもしれません。でも、実は本当にやりたかったこと、本当にこだわりたいこと、といったものが議論されたのだとしたら、こうした意見こそが次の時代を予測する大切な領域なんじゃないかという気が、私自身はしています。
ありがとうございました
2部にわたるパネルディスカッションは、限られた時間で多岐にわたる貴重な意見が交わされました。特に後半のデザインミュージアムに期待する声は、登壇者それぞれの経験から具体的な提言となって響いたようです。テキスタイルとして、ひとくくりにはできない社会問題にも言及されました。さらに、会場で参加した方々からも積極的な質問が投げかけられ、登壇者から直接問いかける場面も見られつつ、熱気に満ちた時間を経て、ワークショップではまた違った“お題”と向き合っていくことになります。
未来の“形”へつなぐためのワークショップ
2つのパネルディスカッションを終え、最後に会場で参加した全員でおこなったワークショップでは、自由な発想が次々と飛び出しました。テーマは「こんなことを富士吉田で実現できたらいいんじゃないか」。山梨県デザインディレクターの林千晶による進行の下、4〜5人で構成したチームごとにアイデアを書き出し、配られた模造紙に付箋を貼り付けながら個々の考えをひとつにまとめていきました。参加者それぞれの専門性や得意とする領域から提示された案はどれも現実的で、これからの富士吉田の発展をさらに期待するものばかりです。ここでは全8チームによるプレゼンテーションの様子を振り返ります。
チーム1:「芸術と産業の間」
大きくも小さくもなく、同じ目線で情熱をもって取り組むための仕組みをつくりたい。自分たちも楽しみ、相手にも楽しんでもらいながら新しいことを進めていく。

チーム2:「ものづくりのワクワクを広げる」
誰にも共通するワクワク感を求心力に、とりわけ子どもたちに体験してもらう祭をつくる。アーティストとのコラボレーションがブレイクスルーのきっかけにできるのではないか。

チーム3:「森を活かす」
テキスタイルの原料は自然のものから取り入れるが、実際には詳しくない。森に目を向けることで、衣食住に展開できると考える。

チーム4:「デザイナーが職人になる」
すべてにおいて越境するならば、デザイナーが職人になってみる。縫製の仕事のように、手を動かすのを楽しめるはずだ。

チーム5:「つくれる場/教育の場/体験の場」
3Dプリンタやファブカフェによって身近になったものづくりを、発表する場も自らの手で用意してみる。富士山でファッションショーを開くこともできそう。

チーム6:「機屋さんの残布で染め物体験」
子どもたちを対象に、布は自分たちの手で染められることを体験してもらう。

チーム7:「知る→作る→暮らす」
入り口がたくさんある街をつくりたい。表面には見えないものを感じてもらい、最後には住宅なるような仕組み。

チーム8:「中心地がほしい」
かつて富士吉田の街にあった映画館やレコード屋のカルチャーが、いまは失われてしまった。子どもたちに向けたコンテンツをつくり、記憶に残していきたい。


そしてもう1チーム、「フジテキスタイルウィーク」で作品を発表したアーティスト、ジュリエット・ベルトノーさんとシン・チュー・シンさんのふたりも会場で参加していました。

「アーティストインレジデンスで1ヶ月ほど富士吉田に滞在し、共同プロジェクトで制作した作品を発表していますが、もっと長く滞在したいし、機屋についても知りたい。そしてできればフランスへも来てほしいです」と話したのはベルトノーさん。会場からは、「海外アーティストがもっとアクセスしやすい街にしたい」、「いまはトライアルだけど、これからは国際的なテキスタイルウィークにできるはず」といった意見も聞かれ、林千晶ディレクターは「みなさんが主体的に考えたことが素晴らしいと思います。今日のパネルディスカッションとワークショップをきっかけに、実現しましょう。ここから実際の“形”に変えてきましょう」とまとめました。
テキスタイルの発信地として、富士吉田の産地がさらに発展する未来へのエネルギーは、ますます強まる勢いを感じさせています。
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